
ビクター・クウチワイテワ
勲章を授けられた第2次世界大戦退役軍人
(1922年−2011年)








アリゾナ州インディアン人間国宝
ビクター・クウチワイテワは、1994年9月、フェニックスで開催された第7回AILTAセレモニーにて、アリゾナ州インディアン人間国宝に選ばれた3名のネイティブアメリカンの長老の一人で、これは、彼が半世紀以上にわたり活躍したホピ貴金属職人のマイスターとして獲得した多くの栄誉の一つです。
1922年6月7日に北アリゾナのセカンドメサ、シャンゴパヴィ村に生まれたビクターは、ウォーターハウス族のメンバーです。彼のホピ、オーバーレイ・ジュエリー作家としての歴史は、ポール・サフキーを師として1940年に始まりました。ビクターは、第2次世界大戦中は軍に入隊し南太平洋に派遣されました。第167戦闘警察からメリル将官の襲撃隊第5309歩兵師団に移籍し、ビルマ近郊で激しい戦闘を目の当たりにしたビクターはパープル・ハート勲章、善行記章、およびアジアリボン記章を手にしました。
1946年に除隊した彼はホピメサに戻り、当時G.J.ビルの後援で形成され始めたばかりのジュエリー制作のクラスでポール・サフキーとフレッド・カボーティーの最初の弟子となりました。このクラスは「退役軍人の教室」として知られるようになり、彼らに新しい世界を開く機会を提供しました。
ビクターはこの初期の時代に発展したホピのオーバーレイ・ジュエリーにユニークな特質を持ち込みました。かつて学んでいた革細工の手法を使って、デザインの背景に質感を与え、作品の出来上がりに巧妙な深みを与えました。この繊細な艶消し処理の手法は、今日でもホピジュエリーを特徴づけるものとなっています。
コパビとビクター・クウチワイテワとの仕事関係は1974年に始まりました。経営者リチャード&マーゴ・メヘギアンはビクターの奥深くから生まれてくるデザインから湧き上がってくるものに、親密な友好関係と創造性の刺激を抱きました。コパビが銀や金、貴石を提供すると、ビクターは、身の回りで体験したことをジュエリーに記録し始め、ホピの日常生活をジュエリー・アートの世界へと押し上げました。
コパビは1976年にアリゾナ州セドナにて、他の秀でたホピの銀細工師の作品とともにビクター・クウチワイテワの作品を中心とした金銀のジュエリーに特化したショップとして開店しました。フェニックスのハードミュージアムやサンタフェ・インディアンマーケット、ニューメキシコ州ギャラップのインタートライバル・セレモニアル、フラッグスタッフの北アリゾナミュージーアムなどから最高賞の数々を受賞したり、アリゾナ・ハイウェイ誌やアメリカン・インディアン・アート誌に取り上げられたりしているにもかかわらず、ビクターは生涯、控えめな態度を崩しませんでした。
「ジュエリーは私の趣味、トウモロコシは私の仕事です!」とビクターは目を輝かせながら語ります。乾地農地耕法で彼は灌漑施設を利用せず、化学肥料や農薬も使いません。それがホピのやり方なのです。朝、畑で作業をし、午後、銀細工の作業をします。乾地農地で耕作したトウモロコシ、スクワッシュ、豆、スイカは、彼のジュエリー同様、数々の栄誉を得ています。ホピの最高位のスピリチャルリーダーが、セレモニーなどのために多くの時間を捧げるのと同様、ビクターは農業とジュエリー作りに自分を捧げ、豊作を創造者からの祝福のおかげであると考えます。
「毎年、植え付けの時期に、私は作物が雨の恵みを受けることを願います。祈りを捧げるときには、すべてのもののために祈り、その代わりに、すべてのものが恵みを受けるのです。祈りなしに成就されることはないのです。」と、屋根の上で乾かしている色彩豊かなトウモロコシに、国内外有数のコレクションとなっているジュエリーと同じような誇りを持っているアーチストは語ります。
ビクターは2006年に愛する銀細工と農作業から身を引きましたが、2011年7月3日に89歳で亡くなるまで、ホピの大地で家族との生活を続けました。
コパビでは、ホピのオーバーレイ・ジュエリーのマイスターであるビクター・クウチワイテワとの30年に及ぶ関係から築かれた、特色のある昔ながらの一点物で刻印付きの作品を提供し続けています。

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